「宮島ラーメンスクール」のブログ

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電通報に掲載されました<記事全文>

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もともとはこうしたスクール形式ではなく、出張型で教えに行くスタイルでした。対象はもちろん日本人のラーメン店開業希望者。そうした活動を始めたのが2001年ごろ。物珍しかったので取材も多く、とある雑誌の記者に命名されたのが「ラーメンプロデューサー」でした。やがて指導方法も磨かれ、マンツーマンへと変貌していきました。

外国人の生徒が急に増えだしたのは10年ごろ。要因よしては、その少し前から中国・韓国で日本のラーメンブームが起きていたのが大きかったようです。あとは、インターネットの力ですね。ネット上で、いつの間にかラーメン好きの外国人のコミュニティーができたりしていた。日本人が全く知らない世界での情報流通です。外国人生徒は、皆ネット経由で直接応募してきます。最近では、中国・韓国の比率はやや落ちて、世界各国に広がっています。特に増えているのは東南アジアと北米ですね。教えた外国人の生徒数は500人にも達しています。

私の経歴もユニークでもともとはグラフィックデザイナー。1980年代末からCIブームというのがあって、組むことが増えた経営コンサルタントの仕事が面白そうで、この世界に飛び込みました。そのうちに得意分野を持たないとコンサルタントとして生き残るのは難しいと考えるようになり、たまたま、ラーメンという分野に特化しようと発想しはたんです。当時の飲食店の世界は、コンサルタントが活躍できる余地がいっぱいありましたし。

なので、私の指導の主体はお店の経営に関することで、実は料理指導はサブだったんです。ところが、ラーメン店の開業希望者はことごとく味を求めて志してくる。経営指導を掲げても誰も来ない。「作り方を教えてください」と来る。だから指導者もうまいラーメンが作れなきゃいけない。そうでないと生徒は話なんて聞いてくれません。私は自分でもラーメン店を開業し、地域の繁盛店になりました。

このようにして「ラーメン学校」の指導のノウハウは磨かれていきました。今でも、本当に伝えたいのは経営のこと。ラーメン店成功の鍵はそこなんです。私のスクールは5日または1週間コースが基本ですが、ラーメン作りの一連のプロセスだけでなく、経営に関する座学もしっかり組み込まれています。

日本人相手に試行錯誤の末にラーメンの形が固まって行ったら、外国人生徒が来るようになった。外国人がいいとこ取りをしているのも時代の偶然ですね。大きなスーツケースで単身でやってきて、こちらで用意した宿に寝泊まりして1週間、通訳は入りますが私と11でラーメンの全てを学んで帰国する。最終日には終了の賞状を渡し、一緒に記念写真を撮って。

私は、実はいつまでも外国人がわざわざ学びに来ることはないと思っています。なので海外にも指導の拠点を作りたいと考えています。2年前からの北京を端緒に、こちらから出向いて指導する活動も海外各地で進めています。日本と同じ1週間コースを再現。さすがに海外では生徒は大勢集めて実施しますが。

ラーメン屋は、もともとは日本に来た中国人が始めた物。それが、この国の中で独自に進化し発展し、世界にとどろく日本文化になった。中国では今や日本のラーメン屋の”逆輸入版”が存在感を持つ時代。だから、中国人も日本に習いに来るようになって私のビジネスが成り立っているわけです。私の下で学んだ世界各地の生徒が本国でラーメン屋を開業して、その土地に応じて変化していく。そうして多様に進化したラーメンが日本に逆輸入されるのが楽しみでなりません。

今はまだ、日本に憧れを持つ国々の方はいっぱいいる。ただ、いつまでもそうではないでしょう。今だから日本が海外に対してできること、そして実は今しかできないことが、いろいろ存在すると思いますよ。

 

 

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